強制連行の嘘。

下記の画像は、安倍政権下、朝鮮総連突入(朝鮮総連科協、薬事法違反による強制捜査)の際の有名な画像です。在日朝鮮人共等は、総連建物入り口付近でピケを張り、『帰れ!、帰れ!』の大合唱を繰り返していました。

それより少し前に、山口組本部にも(総連とは全く関係の無い事件で)強制捜査が入りました。が、その際の混乱も抵抗も無い粛々と捜査陣が本部建物に入って行った光景とはかけ離れていまして、テレビ画面に映し出される警察権力に真っ向から抵抗する朝鮮総連の若者達に、言い知れぬ反感と脅威を感じたものでした。

何故、日本に住み着く朝鮮人共等はこんなにも、日本と言うもの(日本人、日本の法律しきたり、仕組み権力機構)に対して、敵意むき出しの反抗的なのかしら?

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まるで野良犬みたいw。

それは、朝鮮人特有の遺伝子から来る素養なのか?それとも教育や教えから来るものか?興味はあります。

考えられる一つの理由が、自分達は先の戦争時に、朝鮮半島から無理やり連れて来られて来た民族である。強制連行・強制労働の歴史的被害者と云う、口実です。

自分達は、好きで日本にいるのでは無く強制的に日本に連れて来られた者達だから、大学受験資格をよこせ、税金を免除しろ、参政権をよこせ、年金などと、色々な権利要求運動をしてきました。

しかし、

何故か「我々を朝鮮半島に戻せ、帰国事業を手伝え」という主張は皆無です。

      朝鮮半島からの大量密航者の写真
          1960年4月7日撮影

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※上記の写真は、日本に密航しようとして逮捕された者達が朝鮮半島に強制送還されている写真です。

「朝鮮人強制連行」という言葉が定着した理由

朝鮮人強制連行という話は、1965年に朝鮮総連活動家の朴慶植という人物によって作られました。

「1965年」と「朝鮮総連」というのがカギです。

1959年から、朝鮮総連は帰国運動を大々的にやっていましたが、当時の北朝鮮は、朝鮮戦争の後遺症のため経済状況が非常に悪く、更に、帰国者が犯罪者扱いされていることが原因で、帰国運動は行き詰まりました。

その為、在日が日本に居座る理由が必要になり、朴慶植という人物が旧日本軍が善良な朝鮮人をトラックで拉致したというウソ話「朝鮮人強制連行の記録」を本に書き、左翼ジャーナリストや評論家が事実を確認せずに引用したので、事実のように広まりました。


しかし、1990年代になり、実証的に強制連行を調査したところ、これらが疑わしいことが分かった為、在日の歴史学者は強制連行とは戦時徴用のことだと、ひそかに定義を変更し、トラック連行説との違いを曖昧にするために強制徴用という言葉を作り上げました。

つまり、

強制連行とは在日が日本に居座るための重要なカードです。そのため在日は、次の世代に強制連行という物語を懸命に教えてきたのです。

同時にそれは、日本人の在日朝鮮人に対する贖罪意識(言い知れぬ罪悪感)を植えつけるツールとして用いられて来ました。日本人から、より良い待遇を引き出す為に。

終戦直後(1945年)、日本には朝鮮人が200万人いました。その中でも徴用で来日し日本に留まった者は245人。つまり、現在日本にいる朝鮮人の99.9%が、自分の意思で日本に移住してきた人達です。


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「戦時徴用は245人」、大半が自由意志で居住。(1959年7月13日 外務省と在日朝鮮人で発表)


僅かな徴用者、徴兵者は、その時、帰国していると考えるのが普通です。つまり日本に残った人は「家族で日本に移住して来た人」です。要するに「自由意志」で日本に来て、「自由意志」で日本に残ったのです。

それでも在日朝鮮人達は「強制連行された!戦後は帰りたくても帰れなかった!嫌々ながら日本に住んでいるんだ!」と叫んでいるのです。


「日本に密航し、戦後のドサクサにまぎれて在留資格を取った」



密入国で来日したパチンコ「マルハン」社長 韓昌祐

(以上引用URL)
http://makizushi77.hp.infoseek.co.jp/SEIKATUHOGO.htm
本当は、東アジア黙示録ブログ主アネモネさんが使用していた、「kwout」を使っててみたかったのですが、(導入の仕方が)全然判らなかったです。

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